縁の下の力持ちとしてジャズの低音部分を司り、ドラムとペアで演奏の土台となるテンポを作っていくウッドベース。初心者が知っておきたいジャズの歴史を作ったウッドベース奏者をご紹介します。
ジミー・ブラントン(1919年-1942年)
まず最初に紹介するのがジミー・ブラントン。モダン・ベースの父と呼ばれ、ジャズにおけるベースの可能性を広げた人物です。
ブラントンが登場するまで、ベースは演奏の中でただ黙々とピッチカードで2拍子や4拍子のリズムを刻むことだけをしていました。ただ、みなさんが知っているウッドベース、そんな単純なものではないですよね?アルコ(弓)で音を奏でたり、ソロでホーン楽器やピアノのようにメロディを演奏したり。そんな自由な演奏を始めたのが彼、ジミー・ブラントンなんです。
彼の後の登場するベーシストたちは、いずれもジミー・ブラントンの系譜をたどっています。この記事で後ほど紹介するレイ・ブラウンも、「私のように弾きたければ、私が聴いてきたものをもっと勉強するべきだ。例えばジミー・ブラントンだね。」という言葉を残しています。それだけ影響力のある人なんですね。ソロ・アルバムは存在せず、デューク・エリントン・オーストラでの音源が多く残っています。
ジミー・ブラントンが参加する音源
チャールス・ミンガス(1922年-1979年)
ハード・バップのスタイルを元に、演奏サード・ストリーム・ジャズやフリー・ジャズを取り入れたり、ベースだけでなく自らボーカルやピアノを担当したり、様々なチャレンジをしながらジャズの歴史を支えてきたアーティスト。
1943年のルイ・アームストロングのバンドに参加し、その後ジョン・コルトレーンなどとも共演。先に紹介したポール・チェンバースが一緒にバンドを組んでいたデューク・エリントンを敬愛しているが、ミンガス自身デューク・エリントン・オーケストラをクビになったという過去があります。
チャールス・ミンガスが参加する音源
ポール・チェンバース(1935年-1969年)
マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイといった、ジャズ・ジャイアンツをはじめ、多くのジャズマンと演奏をともにしたベーシスト、ポール・チェンバース。34歳で亡くなる前年までの14年間ほどの間に、なんと400枚近くのレコーディングに参加したミュージシャンにも大人気のベーシストです。
一緒に演奏をしてきたマイルス・デイヴィスのモード・ムーブメントやジョン・コルトレーンのフリー・ジャズといった新しいジャズには興味を示さず、ずっとモダン・ジャズのスタンスを変えなかった彼。
アルコ(弓)での演奏が高く評価されているので、ぜひ聴いてみてください。
ポール・チェンバースが参加する音源
ロン・カーター(1937年-)
音楽大学の教授を20年以上も務めた経験があるロン・カーター。前に紹介した4人と比べて、日本への来日も多く現代のジャズアーティストとしても有名。元はクラシックのコントラバス奏者を目指していたが、人種差別の壁によって入団は断念。その後ジャズベーシストとしての活動を始め、ポール・チェンバースやレイ・ブラウンといった名ベーシストとの交流の中で自分の音楽を見つけていきました。
ピッコロ・ベースという新しい弦楽器を発明し、ウッドベースをソロ楽器として独立させようとした動きも有名です。
ロン・カーターが参加する音源